桜舞い散る頃に。。。

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桜の花が、舞い散る季節。花見の宴を催し、飲んで騒ぐこともできるが。一人。東松原の公園にいた。通っていたスポーツクラブが閉めてしまい、公園まで歩いたのだった。ベンチに座り鳩を眺めていると、やはり行くあてのない失業者の心地がした。ベンチの脇を歩く鳩を眺めていると、鳩が鳩であることが安心な心地に思えた。鳩なりの小さな体と羽があり、ボク!と自分しかいないことを告げる時、人の名を騙らないことが何か偉いぞ!と褒めたいことのように思えたのだ。名を騙るボク!というものが、何の動物かバレてもバレてもバレても名前の人間と同じことを言っては、人間を殺してどこが悪いんだ!と叫んででも人間を苦しめるのに比し、鳩なりの責任があり偉いぞ!鳩!と言いたい心地がしたのだ。時は春。満開の桜が束の間綺麗な花びらを散らし、舞い散る花びらを眺めては亡き人を思い出していた。今年も春がやってきたが。亡き人はもう年をとることもない。それもまた心配なことに思えたのだが。
最初、鳩でしかないボク!を偉いぞ!と認めたにしても、人間というのは何ゆえこんなにも汚い心しか露呈しないのであろうか。鳩が鳩のまんまボク!と言い、しばらくすると認められたから当たり前だ!と言い、ペルシャ絨毯を公園の鳩におろしていた。それは、何某かの鳩でない目的があるはずのことなのだが。鳩が鳩でしかないからか、ボクを認めたんだ!と鳩でしかないボク!が言う間に、鳩が富をおし頂いてるんだよ!とホラを吹いては、自分たちの何がしかに刺したものを鳩がかぶってしまった。かぶった鳩が、富というものを知らないにしても。その後に小根の腐った子供が、プラスチックの船を頭にかぶり四方をかぶったプラスチックの船で人を滅多刺しし謝りもせずに学芸会に出ていった。そんな人間の屑をいなくしただけなのだと説明してもわからない。執拗だ。人間より執拗で意味がない。撃退しても撃退してもプラスチック製の物をかぶり、その硬さで信じがたい回数傷つけていた。6歳かそこいらの女が性犯罪者なのであった。